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はじめてのベトナム旅行
2007年2月10日〜2007年2月14日
朝5:30分発のバスは順調に高速東北道をはしり首都高に入った、とたん事故渋滞に巻き込まれてしまったこのままでは10:30分のフライトの間に合わない、じりじりとした時間が過ぎやがて事故渋滞から開放され9:50分には成田到着、
ボーディングパスを手に入れ1ドル124円の両替えをし、
「地球の歩き方ベトナム編」とボールペンを買い機上の人へ、ベトナム航空はサービスがいいアルコールはいくらでも持ってくるし、制限しない、11月に行ったスペインは成田からコペンハーゲンまでの酒類は食前1本食間1本まで、しかもコペンハーゲンからマドリッドはEU内ドメスティック扱いでアルコールは有料となる、うまく考えたものだ。
6時間のフライトの後、到着したホーチミンは半そででも直射日光の暑い南国だ、H氏専属のガイドは心得たもので荷物をホテルに先送りし段取りがいい、食事も多彩で地元のフォーのスープは鶏の出し汁で本当にうまかった、中華、日本料理、飲茶、フランス料理、ベトナム料理、韓国の焼肉、火鍋等々さすが、食のプロH氏の選択、決して高価なところばかりでなく、リーズナブルで合計額の当てっこしてもおどろくほど安い(フランス料理のワインと日本料理のトロを除いては)ほとんどの食材は日本人の記憶にある、なじんだ食べものばかりだった。
またベトナム人は争いごとを嫌う、平和主義者が多く特に女性は従順で働き者だと、
日本企業の工場責任者が言っていた南北に長い国土、人種も性質も謙虚さも日本人に非常に似て親しみが持てる、また我々が忘れかけた田舎の人なつっこさを持ち合わせたとても魅力的な人が多い。特にアオザイを着た若い女性は魅力的だ。
建築物も一時期フランス領であった事もありシャレた建物や教会が目を楽しませてくれる
また移動中に買ったフランスパンがうまかった。
かつてのベトナム戦争の展示場は涙なくして見られない、
世界中の観光客が同じ思いで写真や戦争の残骸を食い入るように見ている。改めて平和の大切さ自然環境保護の大切さを思い知る。この事がきっかけで反戦歌やフォークソングまた団塊の世代による扮装を思い出す。
あのころは若かった。その時代にハノイへの空爆、サイゴンでのベトコンとの戦い、枯れ葉剤の散布、逃げ惑う女や子供、枯れ葉剤による奇形児の誕生、
悲劇の歴史は記憶に新しい。
いまイランでおきてる事も10年もたてばあの戦争は間違いだったと、悲劇の展示場が出来るのだろうか。
ベトナムは市場がすごい魚介類、肉類、食料、乾物、果物、衣類、日用雑貨とあらゆる物が一つ屋根の下、雑然と狭い通路を隔てて売り子と、観光客と地元民の喧騒が一日中にぎわう、
道路でも信号もない十字路を多くのバイクと歩行者間をぬって車が行き交う、事故もなくうまくやっている、
人間生活は規制とか法律が多ければ多い程、問題も多くなる。規制しない事による、円滑な活動がここにはある。
ただ残念なことに最も新しい市場は数階建ての近代的なビルとなり、日本のデパートやスーパーと変わらない形態となってしまった事だ、
いつまでも変わらないベトナムでありつづけてほしいものだ。
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