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足銀親東経友会ロサンゼルス研修旅行
並びにペルー、マチュピチュの旅
1995年4月17日〜4月29日
95/4/17-13:00 足銀駅東支店集合バスにて一路成田へ,4/22 までのロスサンゼルス2日ラスベガス2日の旅は思いがけない方向へ進んでしまうのである。実は4/22迄の予定を高野氏の希望で4/30迄延泊しようと決定、私も同意し付き合う事となった。DL78 17:10成田発に乗るまでに4/23-4/30 の計画をたてる、地球の歩き方南米を手にいれ研究、ブラジルかペルー方面へ行こう、せっかくロスまでいくのにもったいない?おもしろい発想だ。ロスへ向けの機内隣にすわった、中国深川の人と経済について情報交換一時期よりは伸びが悪くなった、との事日本も5年も不況が続いている、とは言うもの17万程度で一週間の旅行ができる、かれもブラジル一週間で6000ドルもかかるとの事、所得がひくい割に旅行費用は高いきのどくだ、11:10 ロス着市内観光ビバリーヒルズ、チャイニーズシアター、マリナデルレイ、リトル東京等、昼食の生野菜やステーキは、いまいちだったが、夕食のロブスターのデカさ、うまさは最高だった。4/18はオプションのユニバーサルとメキシコティファナにわかれたが、高野氏と私はレンタカーを借り、ホテル近くの旅行会社へ行き、南米の安いチケットを物色ブラジルのビザは1週間かかる、あきらめペルーのリマに決定、4/21UA983ロス14:40ーマイアミ22:22 UA995マイアミ11:40-リマ4/22 04:14 4/27UA994リマ22:10-4/28 マイアミ04:48 UA982 マイアミ07:10-ロス09:59 合計737.95ドルのディスカウントチケットを手にいれメキシコの国境へむけフリーウェイをとばす、右側通行になれるまでは、ナビの仕事は大切だ、ハンドルを切ると自然に左に入ってしまう、地図を見ながらドライバーに注意をす。試行錯誤の後、メキシコのティファナの先120Kのエンセナダまでいった、右手に海をながめ左は山の美しい景色は、北海道の襟裳岬に良く似た景色だ、遅い昼食はチャイニーズレストランでチャーハン、ビーフン、タンメン(具がおおい)を二人でたべ、あまったのをカップにいれてくれて18ペソ安い、漁港のこの町は日本の漁船もたちよるらしい、帰りティファナの国境越えは10:00 頃だったので比較的スムーズに通過できた、メキシコ内は保険が別なので何事もなく良かった、楽しいドライブだった、ロス市内に入って少々道に迷った。リトル東京の店はほとんどしまってしまって、ホテルでメキシコの残りものでがまん、ティファナの物価の安さ、人の多さ雑然とした町はたのしい4/19 06:00ラスベガスへ、グランドキャニオンの遊覧飛行は10人乗りの飛行機で揺れもはげしいが、谷の深さ自然がつくったすごい景色に感動、フーバーダムのでかさ、美しさはさすがアメリカ。ラスベガスへもどりブラックジャクで、800ドル負けたときはどうなるかとおもった、町中へ出て頭を冷やし翌日にそなえる。4/20前日の負けを何とか600ドルとりかえすのがやっとだった、ギャンブルはこわい夕方からのジグフリードのホワイトライオンショーはみごとだ、1万円以上もするらしが納得、ラクソルホテルのバスなしと冷蔵庫なしと、やたら歩かされるにはまいった。4/21ラスベガスを出てロサンゼルス10:54 着みなさんと別れ、マイヤミ経由リマへむかう14:40 ロス発 22:22マイヤミ着、23:40 マイアミ発 04:14リマ着。4/22税関を通って高野氏を待っていると、サイフを無くしたとの事、飛行機へもどってさがそうとするが、UAカウンターへ行けとの事、この間飛行機で一緒だった日系ペルー人の、サカタ婦人 迎えに来ていた夫のサカタ氏には、スペイン語で色々と交渉して頂き大変助かった、おかげで07:OO 発のクスコ行きの飛行機に乗れた、クスコはリマより118KM南東、標高3360M到着した時は、息苦しさを感じる、午前中は体を慣らすためにベットで横になる、2:00発の市内観光へ、サンテドミンゴ教会はインカ時代コリカンチャと呼ばれる太陽の神殿だった、コリとは黄金、カンチャとは居所を表す、神殿内は広場を囲む月、太陽、イナズマ、虹、星、の部屋からなっており、部屋は美しい石組みで囲まれ、壁には台形のへこみが多数ある、そのへこみには金や銀の像が飾られていたと言う、16世紀スペインがインカ帝国を滅ぼした際、この宮殿にあった黄金は全て、インゴットにして本国に持ち去ってしまった、その量の多さでヨーロッパは、一時インフレになったと記録されている。黄金がなくなった今も美しい石組(カミソリの刃も入らない精巧さ)がみられた、次にクスコ(インカの首都)の東を守る堅固な要塞跡サクサイワンの遺跡は巨石を3層に積み上げて造られている、ケンコー(祭礼場)プカプカラ(赤い要塞)タンポマチャイは雨期、乾期は通して一定量の水が湧き出ている、沐浴場だったようだ、ガイドはこの水は飲めると言う、サイホンの原理を利用して遠くから水を引いてきていると言うのが有力な説。4/23クスコ近郊の1日ツアーはウルバンバ(市内より80K )オリャンタイタンボ、斜度45度に段々畑が作られ300段の階段を上り詰めると、広場となり周辺にはあの美しいインカの石組が続く、謎の巨石は対岸の石切り場からはるばる運ばれてきたというが、どうやって運んで来て、どんな道具で石を加工したのか考えれば考えるほど不思議だ。バスの中の西洋人とも友達となり20名程の一行のランチが始まった、インディオの楽団による生演奏を聞きながら、芝の上に並べられたテーブルです食事も乙なものだ。午後はピサックの市でインディオの作った、おみやげをめずらしく購入(娘達の要望)ホテルに戻り明後日のプーノ(チチカカ湖)迄のエアーチケットを手配、この時フロントにスペイン語で通訳してくれたのが、酒井さん(ボリビア滞在のボランテリーの女性2人の旅行者)同じホテルのよしみで、デイナーを共にすることとなった、自己紹介とインカに対する思いを語り合い、あっという間に時が過ぎ、シャワータイムの9時が過ぎてしまった。明日はマチュピチュ、寝酒のオールドパーを56ソルで手にいれ今回の旅について高野氏と語る、支店長や梶田氏には進められないし、怒られてしまうだろういや、なぐられる等々の話で明日に備え床に付く、体も高地に慣れてきた。4/24今回の旅のメインのマチュピチュはクスコ(標高3360M )からウルバンバ川に沿って114KM 登山電車で下った地点より、400Mいっきにバスで登った(標高2280M)の山頂にある、電車からながめる断崖絶壁や渓流を楽しみ、高野氏と「来てよかった今度は女房を連れてくるんだ。」とお互い感無量、突然インカ道から釣り橋があらわれ、当時インカ人が渡った橋がみえたり、山の奥の人里はなれた所に駅があらわれ、ここだけは観光客あいての土産物売りがたくさんいる、マチュピチュだ、ここからバスで山頂へ着いたのが13:00 、高野氏は13ドルのランチで腹拵え、私は遺跡の写真を撮りにのりこんだ。14:00 の約束の場所へ戻ると、高野氏が日本語ガイドのツアーへ混ざろうとの事、15名程の日本人観光客と共に、素晴らしい日本人ガイド(クスコ在住)の説明を聞きながら共に行動した(高野氏の面の皮の厚さにはまいった)、こんな高地に作った石垣の段々畑、17の水汲み場は、遠く山のかなたから石の溝を伝わって流れてきているのだ、自然の石の上に建られたみごとな石積み技術は、一部円形にも積れている(太陽の神殿)、王女の宮殿、神聖な3つの窓の宮殿、インティワナ(日時計)ワイナピチュ等々、失われた空中都市も、古い部分は2000年前に建造された説もあり、1911年歴史学者のハイラム・ビンガムによって発見され、マチュピチュは400 年を越える長い眠りから醒めたのである。見学を終わりバスで曲がりくねった道を行くと、手を振って我々を見送った10才前後の坊やがまた表れ、グッバイをくりかえす等々下まで来て我々のバスへ乗り込んで来て、「グッバイ」思わず感激しチップを1ドルや、1ソル渡してしまう。バスを降りると物売りの子供達がむらがる、それをさけ線路向かいの屋台に座り、2ソルのハンバーガーと2ソル のビール、1ソル のフライドポテトで遅いランチをすます、18:00発の電車に乗ったとたん寝入ってしまった、起こされたときは、車内サービスのコカ茶と菓子のサービス、これが終わると、車内の照明は消され真っ暗、外を見るとすばらしい星空、南十字星やら北斗七星が低く見えたり、夜空を見入っていると間もなく町中の明かりが飛び込んでくる、みごとな夜景だ、このタイミングを見計らって流す「コンドルは飛んでゆく」のテーマ曲に感動し高野氏は思わずビデオをまわす、ああ、クスコの夜景が過ぎてしまうと思いきや、この後2回も同じ所を往復し乗客のサービスに努めている、ゆき過ぎだ〜の所はあるが楽しい1日を過ごした。4/25 8:30チェクアウトし、神秘の湖プーノへ向けクスコ発10:00 フリアカ着11:00 ここよりマイアミからの夫婦連れと一緒になった、フリアカからプーノまで30KMの道のりを車でとばす、35ドルの部屋をことわり、シングル18ドルのホテルに決定、清潔そうで、テレビ付きとは最高だ、アメリカ人夫婦のチェックのきびしさにはおどろいた、すべて夫人任せ後で聞いた話しだが、サイフはすべて夫人がにぎっているそうだ、どの世界も一緒だと思った高野氏も同意見、チチカカ湖は3800M の高地、富士山より高さのため息苦しい、琵琶湖の12倍の広さがあり、しかも世界一高地にあるのも神秘さをかきたてる。午後湖に船で葦の上で生活している、ウロス島へ家も葦、船も葦の珍しい生活者達だ、ここでもマチュピチュでの日本人一行とであった。4/26 高野氏と意見が別れ、私はリマへ高野氏はバスでラ・パスへ行くことになった、再会を約束しお互いの旅の無事を祈りつつ別れる、11:00 フリアカ発リマまで2時間足らずのフライト予定が、1時間足らずで着陸、おかしいと思ったらアレキバ経由だったふざけやがって、あのガイドめコンチネンタルのほうが、やすかったのでこちらにしたとの事、あとの祭り13:30 アレキバ発リマ行きへ乗り換え、地図上だとナスカ上空を飛びそうなので、もしや地上絵でも見られれば儲け物と思いきや、ペルーのはげ山しか見れなかった。リマ着後ガイドブックに載っている、ホテルを指定し25ソルで決定、ミラフローレンス地区の方が治安が良いし美しい、ホテルを3件廻って全て満室、4件目で26ドルの部屋で決定、先に金を払えとの事、払ってから案内された部屋は、ドアを開けるとレストランの最悪の部屋、気を取り直し本にのっていた、日本レストラン「一番」へ上寿司35ソル豚骨ラーメン18ソルの、久々の日本食に舌鼓、ケネディ公園でパフォーマンスをみたり、マネーチェンジャーにごまかされたり、ともかく人の多い所だ。翌日リマ・セントロのラ・ウニオン通りやカテドラル、サン・マルティン広場等をまわったが、いずれも屋台が多く異臭が強く、人が多いという印象だ。4時にはリマ空港にタクシーで向かう、私の乗ったタクシーが空港で追突(実はバックした)一悶着ありそうなので、荷物をもって金を払って空港へ、ボーディングパスを持ってゲートに入ると2人の白人女性がJAPANESE?と聞くのでYESと答えると日本人の通訳お願いします、少しだけしかできないと断っても、連れていかれると1人の日本人がボリビアのビザがないので入国できないとの事、ガイドブックによると観光ならビザなしで入国出来ると説明したが、ごく最近戒厳令がひかれビザが必要との事、結局エアーのチケットの変更を願い出て、一件落着30才前後の日本人を励まして別れた。はたと高野氏もボリビアのボーダーで問題がおきているに違いないと思い、機内の席に座った間もなく聞いたことある日本語が聞こえてきた、何のことない高野氏だった。よかった何の問題もなかったそうだ、又共に旅することとなったリマ発2:00 マイアミ着4:00 マイアミ発7:00 ロス着9:50の後LAPDロス市警へ寄る、高野氏がサイフを捕られた事の書類を20分程で作成完了時計を見ると、まだ間に合いそうだロス1泊の予定を急きょ今日帰国のエアーに替えてもらおう、結局私が走らされた、約2`先のカウンターへOKがでた、バックを荷車にのせ走るわ、走るわやっと間に合いバッグをボーイに走らせ、このチケットは、デイスカウントチケットで本当は変更きかない云々、今回は特別とか高野氏も調子良く、今後デルタ以外は乗らない(良く言うよ)11:40 ロス発1日前に帰れた足銀のツアーの方々、取引先、社員の皆様、ありがとうございました、
4/29機内にて |
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