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新聞チラシのない島小笠原の旅
2002年5月8日から14日まで、日本でもっとも遠い島、小笠原の父島の旅は25時間もかかる船旅で始まる、
結婚30周年記念で豪華な特1等の客室を予約し、何とか妻のご機嫌をとり付き合ってもらった。
シャワー冷蔵庫付の部屋はなかなか快適な旅だ竹芝桟橋10時発の船は1000人も乗れる大型船だ、東京湾出るまで約1時間、外洋をでてしばらくは水平線の風景を楽しむ、船内探検も終え夕食はインスタントのラーメン、レストランの匂いを嫌がる妻は、ビールとカップ麺で楽しい食事を済ます、船の朝は早い薄暗い雲の間から確実に太陽が昇ってくることが感じ取れる、
小笠原諸島の島々を眺めながら景色を楽しむ、晴れた海は確実に海の色の変化を気づかされる、濃紺の海を掻き分ける白い波何時までも眺めていたい、間もなく父島、静かな湾内に入ると迎えの船が何艇か船の周りを取り巻く岸壁に着くと各ペンションや民宿の、迎えの人でいっぱいだ、今夜お世話になるログハウスメールの看板を見つけ、若くかわいい娘さんが迎えにきて楽しい気分となる、船を下り、記念写真をとりもう一組の夫婦と共に、ワゴン車にのり10分たらずのログハウス造りのペンションに着いた、早速レンタルバイクを借り島のドライブ、気分はローマの休日、交通量の少ない島ではあまり不安は感じない、高い山の頂上から眺める港は絶景である、何年ぶりだろう、二人でぼんやり時をたつのも忘れ眺める美しい景色、紺碧の海、青い空心が洗われる来てよかった、との妻の言葉に満足した私は、お昼に島一番の寿司屋に入り島寿司(サワラの寿司)で舌鼓、島1番とは言っても2件しか寿司屋はないそうだ、そのせいか店主はラーメンは食うし、店の椅子に座ってテレビは見るし愛想も決してよくない、スーパーは2件お土産屋も2件しかなく、ガソリンスタンドも2件、リッター200円近くする。チラシ新聞がないというのは正確ではない、1週間に1度船が着いたとき1週間分の新聞が手に入るのだ、よって島民には人気がなく読む人は少ないそうだ、また必要もないのかも知れない。
二見港を一望出来る三日月山展望台、我が宿に近い宮の浜ビーチ、釣浜、白い砂浜の小港海岸、コペペ海岸、太平洋戦争に魚雷攻撃を受け沈んだ潅江丸の残骸のある境浦、砲台のある中央山、ここから眺める景色の雄大さ、海の藍さは抜群だバイクで1日まわれば、ほぼ島1週出来るほど小さな島、しかも交通量が少ない、のんびり回るのがコツらしい、ペンションのご主人様からの情報だ、夕食のご馳走がうまかったのは言うまでの事はない。
翌日は船に乗って南島へ、朝一番はイルカを求め欧米系の日本人船長は探し回る、「今だー」の掛け声で海に潜ると目の前にイルカ、彼らも遊びに寄ってくる、今回は1匹だけだったがカメラに収めることが出来たラッキー、南島は自然を守るため人が通る所は制約される、白い砂とエメラルドグリーンの入江は印象深い、海中公園での海蛇の餌付けショーは見ごたえがあった、ブダイ、うつぼ、ナポレオンフイッシュあらゆる魚が餌を求めて船下に集まる、それを船底のガラス越しに見るのだ、船底に潜って写真に収めたい衝動に駆られるが、5,6匹の海蛇を見てるとその気になれない、噛まれる事はめったにないらしいが、デカイうつぼの顔みると不気味なものだ、ちなみに餌は冷凍のいわしだそうだ。お昼は奥様の手づくり弁当を、無人島に船をつけランチタイム、思い思いの場所を見つけ木陰で過ごす、食後シュノーケルをつけ海底をながめる、魚は豊富で色がきれいだ、船長の趣味なのか船の色はピンクで目立つ色だが決して違和感はない、トローリングで魚を釣りたい衝動に駆られるが、魚がつれすぎ禁止されてるのだ。この無人島は昔、鯨を獲って解体作業を行った所だそうだ、現在は保護され12月から4月までなら、鯨ウオッチングが出来るそうだ、ザトウクジラは島からでもみえるそうで是非見てみたいものだ。
ペンションの皆様や、大田原からきた夫婦や大学生とも仲良くなり、夕食の情報交換はかなり活発に行はれた、元ヨットマンで愛知県出身の主人、最近グループで船をもって釣りを楽しんでるらしい、1人息子は4歳でいたずら盛り、よく出来た奥さんは料理上手で美人だ、あっという間の3泊はすばらしい思い出と共に過ぎ去ってしまいました。
別れの朝記念写真を撮り、乗船岸壁には多くの島民が集まり太鼓をたたいたり、さよならイベントとパフォーマンス、乗客はみんな名ごり惜しそう、船が岸壁をはなれ、ゆっくり走出すと、10艇ほどの船が小笠原丸について来る、小船には多くの若者がのり大きく手を振ったり、船からいっせいに海に飛び込んだり、次から次とパフォーマンスが行われ、その度に大きな拍手がおこる、乗客は感動し感極まる、何もないが
美しい海と自然の虜になった、乗客たちは又来る事を誓いこの風景を胸に刻むのだ。
あっという間の小笠原のたびでした。
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